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養蜂の誕生から国産はちみつが生まれるまでの歴史を解説します。

はちみつの歴史

旧式養蜂

通販で国産はちみつ買ってみよう/旧式養蜂

ひとくちに養蜂と言っても旧式養蜂と近代養蜂とでは様相が全く異なります。 19世紀半ばまで行われてきた旧式養蜂は自然に営まれている巣を探してそれを採集し、 巣を砕いてはちみつを絞り取るという方式でした。 この方式は数万年前から長い期間行われ続け、養蜂の歴史の大部分はこの旧式養蜂で あったと言えます。 旧式養蜂の様子は古い洞窟壁画にもスケッチされていますし、エジプトの古代墓からは 壷に入ったはちみつが発見されています。 このように遥か昔から長い間、養蜂は人類と共にありました。 そして近代養殖が始まったのは、長い歴史からみればほんの最近のことなのです。


近代養蜂

近代養蜂はそれまでの旧式養蜂とは違い、はみつばちを家畜として飼育管理するところに 特徴があります。 このことを可能にして近代養蜂の幕をあけたのはアメリカ人のラングストロスで、 彼の考案した取り外しのできる可動式巣枠がこの飼育管理を可能にしました。 このラ式巣枠と呼ばれる巣枠が開発されたのは1851年で、1857年にはドイツ人の メーリングが人工巣礎を考案しました。 この巣礎と巣枠を骨組みにしてそれに付随する器具が次々に開発され、養蜂は産業として 成り立つ基盤が出来上がっていきました。 それと同時にミツバチの学術的研究も飛躍的に進展していくのです。


日本での蜜蜂

日本の史上ではじめてミツバチが現れたのは「日本書紀」の627年の条で、そこに 「五月蝿有り集まりてこりかさなること十丈、大空を飛んで信濃坂を越え、 鳴音雷の如く、東上野に至って散る」とあります。 この頃には「蜜蜂」という言葉もなかったので、蝿の群れと呼ぶしか表現の方法が なかったと考えられます。 「蜜蜂」という文字は643年の条にはじめて現れ、この年百済の太子余豊が蜜蜂4枚群を 大和の三輪山に放養しついに蕃息せず、と記されています。 これは金銅仏鋳造用の蜜蝋を得るための試みとみられています。 このあたりが確認されている、日本で初めての蜜蜂ではないでしょうか。